
錆びて朽ちた雨どいのパイプ。加藤汽船側の建物はなんとも言えない味があります。
弁天埠頭 -沈黙する港- (大阪市・港区)
大阪市のベイエリア・弁天町の外れにある弁天埠頭は、南港にフェリーターミナル・かもめふ頭ができ、拠点が移るまでは大阪の玄関港として活躍していました。現在は施設は残っているものの既に船の発着はなく、一見廃港同然の姿ですが関西汽船のオフィスが使用されています。また、加藤汽船の方では喫茶店やバーの営業が行われており、「第二の人生」を歩んでいます。
※内部の無断撮影は禁止されているようですので、必ずルールを守って行動しましょう。

ターミナルビルの建物の周りだけ歩道が金属で縁取られて高くなっています。
昔のJR天王寺駅もこんな所があったような気がします。

加藤汽船側の中を覗くと、案内板が残っていました。「今里行き」のバスが懐かしいですね。

カウンターも時刻表も当時のそのまんま。

入り口扉もかなり色あせていました。

以前より少し賑やかになったのかな?現在もスタジオなどが入居して満室状態だそうです。

こちらは関西汽船側の建物。タイル張りの外観で少し趣が異なります。しかしタイルの色が昭和の建物ですね。

加藤汽船側の建物の様子です。さっき書きましたが、看板をみるとバーというよりジャズ喫茶でしょうか。
右は大正区役所前行きのノンステップバス。ピカピカのバスと建物の古さが対照的です。

コインを投入するのに少し勇気がいる自動販売機。ラガービールの缶のデザインが古い・・・。(現在はありません)

ふと左に目をやると、いかにも古めかしい案内図が2枚ありました。右の看板は弁天町駅までの案内図です。
シールを貼って「国鉄環状線」を「JR」に訂正した跡が分かります。しかし「電々ビル」って・・・。

今度は左の案内図。昔ここが大阪の海の玄関口だったことを物語っています。錆びていて拡大図でも字が分かりづらい状態です。内容を見ると1970年の大阪万博前後に製作されたもののようで、上の白ペンキで塗りつぶした所に跡がはっきりと見えました。阪神国道線・南海平野線などの廃止された路線や、環状線などの英語表記に「JNR」の文字が書かれています。

上の方には1970年の大阪万博の記載が・・・。ここから電車などで万博へ行った方も多かったのでしょうか。

大阪球場に南海平野線・・・。野ざらしにしておくのは余りに残念な、貴重な看板です。
いつかは博物館に・・行かないかなぁ・・。

建物の横がそのまま乗船口になっていたので、ちょっとだけ中に入ってみました。
現役当時の広告類がそのままで残されていてちょっとビックリです。一六タルト・・・。
右側の壁の向こうには工事用と思われる台船が多数係留されていました。赤い扉の向こうが乗り場になっているようです。

ターミナルビルの西側は公園になっています。近所の方々の憩いの場になっているようですが、人気は少ないので夜中は危険かも知れません。

98号系統のバスがターミナルの乗り場に入っていきます。
なんとも言えない雰囲気を醸し出す弁天埠頭のターミナルビル。少し駅から外れた所にあるせいか、何に恵まれてきたのか今でも辛うじて残っている建物ですが、果たしていつまでこの異空間はここにあり続けるのでしょうか。再開発されたきれいなビル街もいいものですが、こういう高度成長期のムードあふれる所も、大阪万博時代を知らない私の世代には新鮮で、また辛うじて昭和を知る者としても味があっていいのかなと思います。
ただ、何にしても管理責任が問われるこの時代です。ここで何か事故や事件が発生すれば、関係先は閉鎖や解体など何らかの対策を免れないでしょう。くれぐれも手荒な行動は慎んで、無事故無事件でこの異空間をできるだけ長く保ち続けてほしいものです。
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